2011年1月15日土曜日

デヴィッド・フィンチャー「ソーシャル・ネットワーク」のためのノート



公開日の1月15日(土)、新宿ピカデリーのレイトショーで「ソーシャル・ネットワーク」を観てきました。

動機としては、僕自身が学生時代からFacebookのユーザーであること、マーク・ザッカーバーグが同じ1984年生まれであるということ、そして題材と監督イメージのギャップが挙げられます。「ファイト・クラブ」や「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」で知られるデヴィッド・フィンチャー監督がFacebookの映画を手がけると聞いたとき、多くのファンが違和感を覚えたことと思います。僕もその一人でしたが、観終わった感想は「最高にクール」。派手なアクションも、流行りの3D映像もありませんが、心地よい疲労感と高揚感を覚えました。

筋書きはいたって明快

Facebookがハーバード大学の学生寮で生まれ、爆発的なスピードで5億人のユーザーを集め、やがて原題の通り"The Social Network"と定冠詞がつく存在になるまでの「サクセス・ストーリー」が一方にあり、もう一方には、世界最年少の億万長者になりながらも、いくつもの訴訟を抱える孤独な天才プログラマー、マーク・ザッカーバーグの「どこにもたどり着けない物語」があります。

「クール」と感じた点は大きく3つ

まず、台詞がとにかく多い、長い、そして圧倒的に速い。モノクロ時代のスクリューボール・コメディを彷彿とさせる言葉の応酬は、「ファイト・クラブ」のバイオレンスに匹敵する迫力があります。特に、冒頭のやりとりは、アクセルを床まで踏み込んで、ギアを2段階上げるようにGeekでNerdな世界に「聴衆」を引き込みます。日本の映画館では珍しく、ちらほら笑いが起きるほどでした。思い返せば僕の中学高校の友人にも、話したり、文章を書くのが途方もなく速い人がいます。彼らに不得意だった数学を教わりながら、数式を一気に組み立てる頭の回転の速さもさることながら、それをアウトプットする指の動きからして叶いっこないと思ったものです。

次に、「ソーシャル・ネットワーク」には「ドキュメンタリー」を謳う作品にありがちな、「これが真実だ」と押しつけるダサさがありません。原告と被告のFacebook黎明期のやりとりをフラッシュバックさせながら、それらが本当に起きたことなのか判断できないように、脚本に故意に矛盾を残しています。したがって、観ている側で(勝手に)「本当はどうだったんだろうか?」と想像力を働かせる妨げになりません。クール。

最後に、善悪の判断を下さないまま前例のない現象を描こうとする、どの登場人物からも一歩引いたクールなスタンスが貫かれている点がすばらしいです。「ソーシャル・ネットワーク」には(予想に反して) 説教臭さがありません。「どれほど優れたスキルを持っていても、大切なのはコミュニケーション能力です」とも、「アイビー・リーグのスノッブな慣習なんぞクソ食らえ」とも言いません。ザッカーバックの顔アップに大きく「天才/裏切者/危ない奴/億万長者」と白抜きで書かれたポスターも印象的ですが、英語版ではさらに肯定とも否定ともとれない"You don’t get to 500 million friends without making a few enemies."という一文になっています。


まとめ

ソーシャル・ネットワーク」は「ドキュメンタリー」である以前にエンターテイメントとして成功する作品です。技術系にそこまで興味がない方にもオススメします。

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