2008年1月6日日曜日

平成20年、熊本の空は広い



暮れに、吉祥寺で『ALWAYS続・三丁目の夕日』を観た。前作『ALWAYS三丁目の夕日』は期待せずに観てみたら予想外にいい映画だったので、続編にはかなり期待して映画館に向かい、逆に不安なったりもしたけれど、結論から言うと期待以上の作品だった。「CGだらけの昭和34年」と皮肉を言うのは簡単かもしれないが、たっぷり期待をさせてさらにその上を行くことは、なかなか難しいことなんじゃないかと思う。

この映画はとりわけ当時を知る団塊の世代以上に支持されているようで、そうした立場からは「今の東京と昔の東京の対比」という枠組みで語られることが多いのではないだろうか。1984年生れの僕はそういった話には参加することができないわけだが、数ヶ月ながら地理的に東京を離れて暮らすことによって、僕なりに「今の東京」を相対化することができるようになって、このシリーズの面白みが広がった。

誤解を怖れずに言わせてもらえれば、映画を観ながら「現代の熊本は戦後の東京なのかもしれない」と思うことがしばしばあった。いい意味で。

例えば、この映画のコピーに「昭和34年、日本の空は広かった」というものがある。確かに新宿の高層ビルで夜景を見ながら食事をすると、なるほどなと思う。けれども、いざ熊本に帰ってくると平成20年でも熊本の空は広いのだ。空を狭めているのは遠くに見える山々くらいのもので、1週間ぶりに戻ってみるとすがすがしい気持ちがした。
ひとつには東京のような高層ビルがないというのもある。それだけでなく、市内の中心部を路面電車が走っているため、道路が二車線分空が広くなっていることも大きい。小さいときからだだっ広い芝生で遊ぶのが好きだったが、その憧れにはだだっ広い空がセットになっていたように思う。

オフィシャルサイトで予告編も公開されているので、ぜひ映画館に足をお運びください。くどいけど、いい映画でした。