2007年12月24日月曜日

クリスマスイブですが、はてブ棚卸しの時間です



クリスマスイブですが、何の因果か東京を遠く離れ熊本にいるので、明日からの仕事の準備をしつつはてなブックマークの棚卸しをして過ごそうと思います。やり方は基本的に昨年と同じです(参照:はてなブックマーク棚卸しのススメ)。


レバレッジ・ブックマーキング

なぜブックマークに棚卸しが必要なのかというと、「たくさんあると何となく気持ちが悪いから」というただそれだけのことのような気もしますが、本田直之『レバレッジ・リーディング』という本を読んだときに、著者と自分の情報に対するスタンスが似ていることに気がつきました。本書は効率的かつ戦略的なビジネス書の読書法を示したもので、具体的には「速読ではなく多読」、「本は汚すもの」、「読み終わってから抜書きをする」といったことが挙げられていて、いつか(いつ?)ブログで紹介しようと思っていたハウツーが次から次に出てきました。
極論を言えば、100項目全てを抜き出して、1つも身につけないよりは、重要な1項目だけを抜き出して、それを実践するほうが、リターンを得られるのです。(p.111)
上は抜書きノートを作成する際の注意事項ですが、ブックマーキングについても同じようなことが言えます。自分の課題や目的に合わせて、いま必要な情報を残すこと、つまりブックマークにもレバレッジをかけることによって、実生活に与える影響を最大化することができるのではないでしょうか。


棚卸しをサバイブしない優良記事

さて、はてブをはじめとしたソーシャル・ブックマークには人気投票としての機能もあるようなので、お世話になった記事のブックマークを解除するのは少なからず後ろめたさがつきまといますが、それでは棚卸しをサバイブしなかった記事がサバイブしたものより劣るかというと、全くそんなことはありません。
そもそもブックマークさせるスキを与えないサイトがいくつもあって、僕にとってその最たる例は「Going My Way」というサイトです。自分でウェブサイトを持つようになってから、何年にもわたってほぼ全ての記事を読ませていただいていますが、はてブにブックマークしたのはほんの数回のはず。
このサイトの優れている点は、ひとつには個人的に興味を持っているGoogleやFirefox、Skypeの情報が豊富なことですが、ここで取りあげたいのは、ブックマークすることによって後回しにしないですむほど具体的に、すぐに実践できるように書かれている点です。記事を読み終わってから試してみるまでの時間が短いため、結果として前述のGoogleやFirefox、Skypeの利用法はモロに影響されています。
とは言え、今年に入ってからははてなスターが登場したことによって、人気投票としての機能ははてブと使い分けが進んでいるのかもしれません。要するに今日ここで言いたかったことは、「ありがとう」、そして「嫌いにならないで」の2つです。

昨年の暮れには「500件以上あったブックマークを160件まで減らし」た、とありますが、今年は600件からのスタート。実際にやってみないとわかりませんが、400件ぐらいにしぼりたいな、と。やはり完璧を目指すとキリがないので、7-8割を目標に進めます。

2007年12月6日木曜日

人の命と直結することをテーマに...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
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結論

人の命と直結することをテーマに据えたいと願って書き始めた。「何をもって人命とするか」という問いが人権問題に及ぼす影響を考えることから出発したのは序論で述べたとおりである。ところが、人命そのものの価値も絶対的なものではなく、「人命はなにものにも代えがたい」というクリシェを真ならしめるためには、間にかなりの数の条件を挟む必要があるらしいことがわかった。それまでに産み育ててきた子どもたちをこの上ない喜び、誇りとする母親たちがいる一方で、ただのリスクとしか見なされないことも往々にしてある。しかしここで大切なことは、それらを異常なこととして排除したり、善悪判断を下したりすることではない。

本稿はこれまで、避妊をとりまくコンテクストを「反対しなければならなかったもの」と「反対しなかったもの」とに分け、さらにその立ち位置によって「第三者によるもの」と「当事者によるもの」を区別して分析を行なってきた。一連の作業を通して第1章で述べた「政治家や医師、聖職者などの男性エリート層と、自らの身体をコントロールする権利を獲得しようとする女性たちを中心とした運動家の闘い」という枠組みに対して覚えた違和感のありかが、少しずつ明らかになってきた。まず、第三者として避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストは、生殖が抑制されることが問題とされる場合と、生殖を目的としない性交が行なわれることを問題とする場合とに分けられた。第三者たちは前者が社会的秩序に、後者が道徳意識に関わる、それぞれ抽象的な問題意識を持っていたのに対して、当事者を避妊から遠ざけたのは習慣を変えることへの抵抗というはるかに実際的かつ具体的なものだった。避妊に「反対しなかった」コンテクストには社会的秩序や道徳意識の価値を尊重しつつ、別のアプローチによって目的を達成しようとするものも見られた。第三者たちにとって避妊は人種を自殺に追いやる恐れもある「毒」であると同時に、社会的秩序をコントロールするための「薬」として用いることができると考えられていた。

それでは、こうしたコンテクストが重なりあうなかで、なぜ避妊が普及するほうに傾いたのか考えてみよう。20世紀前半のアメリカ合衆国において避妊が普及した理由は、大きく分けて4つにまとめることができる。第一に、この時期に避妊技術の革新があった。従来的な避妊は射精をコントロールする禁欲的な性質が強かったのに対して、コンドームやペッサリーなどの避妊器具は膣内での射精を可能にした。性行為の主導権を握ることの多かった当時の男性たちにとってはより現実的な選択肢となるとともに、女性たちが主体的に避妊を行なうことも選べるようになった。第二に、公の場で行なわれた避妊の是非をめぐる議論は、全国的な規模で行なわれることによって賛成するものだけでなく反対するものも意図せずその普及に加担することになった。なぜならば、大勢の注目を集めること自体がそもそも避妊という選択肢があることを知らなかった人々にアクセスのきっかけを与えたためである。第三に、性や生殖に関する価値観の変容があった。なかでも大きな意味を持っていたのは、生殖が神秘的なものから科学的にコントロールすることのできる対象となり、自己管理の一環として避妊が実践されるようになったことである。そして第四に、違法とされる性交渉を隠匿する目的で用いられることもあったほど、避妊をする/しないという選択の結果が当事者以外からは見えにくいものだった。一度避妊に関する知識や技術を習得した人をあとから取り締まる、ないし「改心」させる手立てはごく限られていた。

これら4つの現象は上の順序通りに進行したわけではない。各種避妊法と性や生殖の価値観の関係は需要と供給の関係にあったと言うこともできるが、両者の関係は一方的なものではなかった。需要が供給を、供給が需要を生むことによって、相互に影響を与えながら時代とともに変化してきた。一般的な医薬品の場合には、具体的な化合物と適切な処方の両方がそろって初めて価値を持つ商品となるが、避妊が普及するためにはそのような技術的な進歩だけでなく、生殖に対する価値観の変容も不可欠だった。また、ある時代にたったひとつの価値観が共有されていたということはなく、一個人のなかでも矛盾しあう判断がせめぎあっていた。そのなかから当事者たちが各々の利害関心に応じて選択を行なう際にやはり重要だったのは、4つ目に挙げた選択のプライバシーがある程度確保されていたことである。選択の自由が確保されるためには、それを選択する権利があるのみでなく、選択結果次第で第三者からの不当な不利益を被る恐れがすくないことが欠かせなかった。

次に、避妊と中絶をとりまく状況が今日のように分岐したのはプライバシーの有無だけでなく、3つ目に挙げた自己管理としての位置づけも大いに関係がありそうだ。中絶は妊娠という事実に直面してからはじめて対処するものであるのに対して、避妊は予防的手段である。つまり、避妊は妊娠を予防するものであると同時に、特に結婚を前提としていない男女など出産を全く想定していない場合には、中絶というリスクをも予防するものである。したがって、中絶が大きな問題とされればされるほど、避妊には相対的に「反対されにくい」コンテクストが用意されることになる。逆にこうした両者の関係に変化が訪れれば、避妊をめぐる論争は必ず再燃するはずだ。将来的に新しい避妊の技術が登場することは容易に想像できる。例えばモーニング・アフター・ピルの確実性が増し、かつ副作用がほとんどなくなればいま以上に多くの女性たちによって利用されるだろう。そうなれば、予防的手段としての避妊技術全般と中絶との差異は一段とあいまいなものとなり、「避妊は認めるが中絶は認めない」と考えているグループに改めて避妊について考える機会をもたらすことになる。

最後に、20世紀前半の人々が避妊という選択肢に反対しなかったことが現代の当事者たちにもたらした自由の性質について考察し、結びとしたい。避妊を実践することが半ば前提とされるようになると、避妊に失敗することは妊娠だけでなく、自己管理の失敗も意味することとなった。そこで問題となるのは、妊娠やピルなどの一部の避妊法を採用した際に予想される副作用のリスクは女性たちの身にのみ降りかかることだ。また、たとえどれだけ注意深く避妊を実践していたとしても、性交渉を持ったならば妊娠の可能性はゼロではない。つまり、避妊に失敗して中絶に頼らざるを得ない女性たちは必然的に出てくるのである。ところがそうした「運の悪かった」人々は、避妊が社会的に受け入れられ、かつそれが簡単で当然なことと見なされれば見なされるほど、周囲の同情を受けにくい状況に立たされることになる。避妊についての知識がなく多産多死があたりまえだった時代には、将来何人の子どもたちに恵まれるかは「神のみぞ知る」ことだったが、現代においても中絶の当事者になるかならないかの境界は人間には計り知ることのできない領域にある。避妊の実践者と中絶の当事者の一部を隔てるものはただ偶然のみであるとしても、後者の数が圧倒的に少ないため、また前者は避妊による自己管理を自負しているため、潜在的当事者としての自覚は薄いと考えられる。ここに不完全な避妊に対する過度の期待、盲信とも呼べる危うさがある。いまとなっては反対しないことはあまりに簡単だが、反対する余地は十分に残されている。

「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

2007年12月5日水曜日

もしも妊娠が性交渉を立証する唯一のものであるならば...




「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
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隠匿

もしも妊娠が性交渉を立証する唯一のものであるならば、妊娠を防ぐことによって性交があったという事実を隠蔽することができる。実際にそのように考え、行動した人たちは少なくなかった。マーサ・ホーズ(Martha Hodes)によれば南北戦争期の南部において、白人男性と黒人女性だけでなく、白人女性と黒人男性の間でもしばしば肉体関係が持たれた。55 「それはいとも容易く隠せるんだ。女性が妊娠しないようにさえすれば、絶対に安全だ」という言葉だけを引くと黒人男性があたかも積極的に避妊を受け入れていたように聞こえるが、彼らをとりまくコンテクストは複雑なものだった。56 当時の南部社会では白人男性と黒人女性の場合には両者の間で合意が成立していなくともほとんど問題とされることがなかったが、もしも白人女性と黒人男性が関係を持ったことが当事者以外に発覚すれば、合意の有無に関わらず黒人男性は生命の危機に直面することになった。また、プランター階級の白人女性のなかには自らの権力を振るうことのできる都合のいい相手として黒人男性を誘うことがあった。このとき黒人男性にはそれを断ることが難しく、ほとんどの場合は素直に応じるほかなかったとされる。なぜならば、もし白人女性の誘いに応じなければ、第三者に密告されることを恐れた彼女によって、口封じと称して抹殺される危険性があったためである。そして、白人女性たちは持てる知識を総動員して妊娠を防ごうとした。白人の子どもを妊娠したのであればどうにかごまかすこともできたとしても、黒人の子どもを出産すれば明らかに夫以外との人種混交(miscegenation)があったことを意味し、厳しく追及されることになるためだ。

違法な性交渉を隠匿するために用いられることのあるくらいだから、避妊を行なっていることを隠すことはさらに容易だったのではないだろうか。もしそうだとすれば、第三者としては避妊に反対しなければならない立場におかれた人も、当事者としては避妊を実践していた可能性があり、とくに避妊を普及させることには消極的だった医師たちが当事者としては反対せずに実践していた可能性が高い。取り締まりを行なう側としても、長期的な統計を見れば確かに出生率が低下していることなどから避妊の普及を把握することができるが、「現行犯」を押さえることはもとより、具体的にどの夫婦が避妊を実践しているのかということまではわからない。水際で食い止めなければ、あとの祭りとなったのだ。

章のまとめ

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストを支えた社会的秩序と道徳意識は「反対しなかった」コンテクストにおいても尊重され、共通項をみいだすことができた。つまり、「反対しなければならなかった」コンテクストが抱えていた問題を別のアプローチにから解決する糸口となることもあった。また、当事者にもいくつものコンテクストの重なり合いが認められたが、反対せずに受け入れていく上では避妊の持つ秘匿性が有利にはたらいた。このように、はじめから普及を目的とした積極的な運動だけでなく、「反対しない」コンテクストの存在も避妊の普及に大きく貢献した。

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55 Clinton, Catherine. Nina Silber ed. Divided Houses: Gender and the Civil War, New York: Oxford University Press, 1992, Hodes, Martha. ‘Wartime Dialogues on Illicit Sex: White Women and Black Men,’ 230
56 “[…] the thing can be so easily concealed. The woman has only to avoid being impregnated, and it is all safe.” Hodes, 236

「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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2007年12月4日火曜日

1930年代の南部白人小作農の母親たちが...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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第二節 当事者として

適正な人数

1930年代の南部白人小作農の母親たちが、これまで産み育てた子どもたちについて自信と誇りを見せていたことについては前章で指摘したとおりであり、ここで繰り返すまでもない。しかし、同じ母親たちが、将来的な妊娠の可能性に対してはまた異なる態度をとっている。ある母親の証言を引いてみよう。
13人の子どもたちをかかえて、それでもなお力強く、どんな町の女よりもよく働いている女を見たと(読者に)言ってやっていい―でも、今度あんたがうちに来るときにもう一人増えていないといいんだけど。52
確かにたくさんの子どもたちを産み育てることは大勢の働き手を得ることにつながったので、母親たちは漠然とではあるものの、家族に対して貢献しているという実感を持っていた。しかし、子どもたちに食べさせなければならない。家族の人数に見合った十分な耕作地がなければ、労働力を活かすこともできなかった。さらに、度重なる出産は疑いようなく母親たちの体にとって大きな負担となっていた。しかも、彼女たちはお産が始まる直前まで働き、すばやく出産を済ませ、できるだけ早く畑仕事に復帰することを美徳としていたので、十分に休養をとらずに無理を重ねていた。53

それでは、自信や誇りは建前にすぎず、こちらが本音であったのだろうか。おそらくどちらもヘイグッドを同じ女性として信頼して語った複雑かつ正直な気持ちだったと考えられる。『南部の母親たち』もこの地域における高い出生率について、こうしたコメントを反映する2通りの見解を示している。ひとつには大勢の子どもたちを産み育てている母親たちは合衆国の将来にかかわるほど重大な存在であるという主張であり、もうひとつはあまりに高すぎる出生率が小作農たちを構造的貧困に追い込んでいるという分析である。54 注目すべきは、この母親がすでに13人の子どもたちを産み育てていることである。ある人数までは自然に産み、それに達したら避妊を実践するというやり方が可能であるならば、彼女たちにとって反対しなくて済むコンテクストが開けるのではないだろうか。

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52 Hagood, 127. 括弧内は筆者が補足した。
53 Ibid., 115
54 Ibid., 240

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2007年12月3日月曜日

判事が産児制限を勧めて...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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毒と薬

あまり知られていないが、判事が産児制限を勧めて話題を呼んだ事例がある。1928年12月、オハイオ州クリーヴランドの判事ハリソン・ユーウィング(Harrison W. Ewing)は28歳のオットー・クーリム(Otto Kourim)と22歳の妻ヘレン(Helen)の2人による離婚申請を却下した上で、「私はあなたたち自身に対し、また社会に対してこれ以上の子どもたちを負わせることを許さない」と述べた。その際、はっきりと”birth control”という言葉を用いて産児制限を勧めたことが物議を醸すきっかけとなった。クーリム夫妻は5年間の結婚生活で3人の子どもをもうけていたが、夫の週給はわずかに24ドルだったと言う。また夫婦間の口論は絶えず、裁判の6ヶ月前より別居状態が続いていた。ユーウィング判事は離婚申請を却下する代わりに、もしも夫妻が3年間新しく子どもをつくらなければ、かつ3年経ってもまだ離婚を望むならば、そのときには2人の離婚を認める、と言い渡した。当時のオハイオ州の法律は「何人たりとも、産児制限についてのいかなる情報を販売、陳列、提供してはならず、実践してもならない」と定めていたので、判事自身はすでにこれに抵触し、加えてクーリム夫妻が判事の勧めに従えば彼らも州法を犯す状況が生れた。しかし、ユーウィング判事は以下のように述べて力強く自身の下した判決を擁護した。
クーリム夫妻のケースにおける最も重要な争点は子どもたちである。(中略)最初の子どもが1歳のときにいずれかの裁判所が産児制限を勧めるべきであったのだ(中略)彼らの問題は州法の問題を直接的に反映するものである。産児制限についての情報こそがまさにこのような状況にある夫婦を救うものであるのにもかかわらず、裁判所はそれを提供することを禁じられている。49
この記事は、「どの州にも産児制限についての情報を提供する医師―しかもその多くが信頼のできる医師たち―がいること、そしてほとんどすべての雑貨屋(drug store)が避妊具を売っている」という当時の実情についても言及している。制度と実情がいかにかけ離れていたかを端的に示すものである。さて、ユーウィングは最も重要な争点(most important principal)として幼い子どもたちのことに触れたが、これは判事が彼らに対して同情的だったことを意味するのだろうか。「子どもたちを社会に負わせる」というもの言いからは、別の解釈ができそうだ。ずばり、判事は十分な経済力を持たない親たちが無計画に子どもをつくり続けてしまう状況を問題視しているのである。

このことをよりよく理解するためには、ノースカロライナ州の主席判事フレデリック・ナッシュ(Frederick Nash)が1854年に示した見解が参考になる。ナッシュは当時増え続けていた非嫡出子の問題に取り組んだが、彼の方針は無責任な親を捕まえて処罰することではなく、非嫡出子が生活保護者(public charges)となるのを防ぐことだった。50 つまり、ナッシュは非嫡出子の増加を道徳的な問題とはせず、経済的な問題して扱い、父親たちには養育費の支払いのみを義務付けた。ルーズベルトの描いた社会的秩序を維持するためには、白人中産階級の相対的な人口が国内において一定割合を確保していることが肝要だった。相対的ということに限れば、白人中産階級の人口を増やすこととそれ以外の人口を抑制することは同様の効果が期待される。避妊は人種を自殺に追いやる恐れもある「毒」であると同時に、社会的秩序を維持するための「薬」としても機能するとユーウィングは考えたのではないか。3年間という期間は子どもたちがある程度成長するまで親に養育の義務を負わせるということを意味している。ひょっとすると、ユーウィングの本心は子どもたちの状況を不憫に思い、彼らのために両親を別れさせない判決を下したのであって、これまでに展開した議論は判事なりのレトリックに欺かれたに過ぎないのかもしれない。しかし、万が一そうであったとしても、社会的秩序を維持するために避妊が肯定されうるコンテクストがあることを彼が見抜いていたことになる。

友愛結婚

ユーウィングよりも広く知られている判事として、友愛結婚(companionate marriage)の可能性を主張したコロラド州デンバーのベンジャミン・リンズィ(Benjamin Barr Lindsey)が挙げられる。友愛結婚とは男女が結婚する前に友人あるいは恋人の関係となって相互理解をはかろうとするひとつの理想だった。 51 それまでのビクトリア朝時代の結婚とは、男女が対等な関係であることと性的な親密さが重視された点で大きく異なっていた。いまでこそ男性が女性のことをパートナーと呼ぶことがあるが、そうした感覚は当時としては画期的だった。友愛結婚が掲げる性的な親密さは生殖を意味せず、避妊が前提とされていた。第2章ではピューリタニズムをはじめ、さまざまな道徳意識が夫婦の絆を重視するものだったと述べた。友愛結婚は結婚の絆と言う従来からある価値を尊重し、そのためには結婚に先立ってお互いを知ることが必要性だと説いたのである。

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49 “Birth Control,” Time Magazine, December 17, 1928
50 Bynum, Victoria E. Unruly Woman: The Politics of Social & Sexual Control in the Old South, Chapel Hill and London: The University of North Carolina Press, 1992, 103-104
51 G・デュビィ, M・ペロー 監修. 杉村和子, 志賀亮一 監訳『女の歴史 20世紀Ⅰ』東京: 藤原書店, 1996年より、ナンシー=F・コット「近代的女性:1980年代のアメリカン・スタイル」, 138-141

「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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2007年12月2日日曜日

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストを...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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第3章 避妊に反対しなかったコンテクスト

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストと避妊に「反対しなかった」コンテクストの違いはどこにあるのだろうか。また、第三者による論争を当事者たちはどのように受け止めたのだろうか。

第1節 第三者として

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストを支えた社会的秩序と道徳意識は「反対しなかった」コンテクストにおいても尊重されることがあった。2つのコンテクストを比較することにより、その性質がより鮮明になる。

男性の健全化

サンガーは1912年に「全ての娘が知るべきこと(What Every Girl Should Know)」という、避妊を適切に行なう方法を指導する記事を書いている。ところが郵政省は事前に検閲を行ない、コムストック法によって記事の出版を許可しなかった。そのため雑誌の該当ページにはタイトルだけが掲載され、本文には「何もない、郵政省の命令により」とだけ印刷された。44 驚くべきことに、検閲される前の原文は第一次世界大戦期に合衆国政府によって兵士たちに配られた。45

当時、兵士たちの間では性病(V.D.)が蔓延していた。ゴードンによれば、1917年9月から1919年2月までのあいだだけで、陸軍と海軍あわせて28万件を超える症例報告があった。46 抗生物質のない時代だったため、予防が最善の手とされた。こうして、避妊に反対する立場にあった政府が超法規的な措置として兵士にコンドームを支給することになった。政府にとって、国家の手足となって戦争に従事する兵士の健康を維持することは社会的秩序を維持することと同一線上にあり、かつこの場合には優先されることとなった。また、訓練キャンプは男性たちに性教育を提供することを通して自己管理された性的道徳と肉体という男性性を浸透させた。47 480万人の男性を対象としたこうした指導の効果は、彼らが戦場から帰還することによって全国的に広がりをみせ、1920年代および30年代の調査によれば、コンドームは膣外射精に続いて2番目に人気のある避妊法となった。48

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44 ”NOTHING, by order of the Post-Office Department,” Gordon, 214
45 Ibid., 214. パンフレットは著者であるサンガーには無許可で複製された。
46 Ibid., 205
47 Bristow, Nancy K. Making Men Moral: Social Engineering During the Great War, New York: New York University Press, 1996
48 Ibid., 63

「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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2007年12月1日土曜日

ところが、母親たちの妊娠についての理解は...




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消費に対する消極性

ところが、母親たちの妊娠についての理解は自分自身や親戚などの実体験によるところが大きく、避妊についてはうわさ程度の知識しか持っていない者が多かった。40 ヘイグッドはこの地域で避妊の普及を阻んでいる理由のひとつとして、母親たちが実験的な試み(experimental venture)に費やすような現金を持ち合わせていなかったことを挙げている。41 これは現代の感覚から単純に彼女たちの貧しさを指摘することとは違う。当時の小作農の一家は自給自足を原則とし、砂糖やコーヒーなど自分の農場では生産することのできない一部のものに限って他所から購入していた。加えて、雑貨屋の支払いはつけで行なわれることが多かったので、現金に触れる機会は限られていた。また、家族全員で働いて得た収入は家族全員のものとされ、個人が好きなときに自由に使えるわけではなかった。つまりこの地域の住民は避妊器具に限らず、消費すること全般において消極的だったのである。

消費することに対して極端なまでに消極的であり続けることができたのは、一度購入したものについてはできる限り長く使い続けようとする、母親たちの恐るべき執念だった。例えば、ある母親は1組だけの靴で2年間をしのいでいる。42 靴の寿命を延ばすために夏は裸足で過ごしたが、その靴も日々の重労働によってもはや繕うことができないほど壊れていたと言う。また別の母親は、自分の妹の陣痛が始まることを夢の中で察知したとき、彼女が買ったばかりのマットレスの上でお産をすることを許さなかった。43 彼女は自分が妹を愛していることをわざわざ断っているが、それでも目の前で大切なマットレスが台無しにされてしまうのは我慢ならなかったようだ。そこで、代わりに破れたキルトを持ってきて、妹をそこに促した。これら2つの事例は母親たちの忍耐強さを示す一方で、衛生観念の未熟さも表している。

このように、たとえ度重なる経験から自分がどのように妊娠するかを推測できていたとしても、また妊娠せずにすむ方法があることをうわさでは知っていても、自己犠牲を当然のものとして受け入れている母親たちが、自分の都合のためだけに一家にとって貴重な現金を、それも子どもを産むという代わり手のいない義務を放棄するために使うことには大きな抵抗があったと考えられる。女性が主体的に使うことのできる避妊器具が市場に出回っていることと、それを主体的に購入することができるかどうかはまた別の問題だったのである。ヘイグッドの資料からは父親たちがどのように考えていたかがあいまいにしか分からないことは前章にも述べたが、彼らが沈黙していても妻には思いとどまるのに十分な条件がそろっていた。

章のまとめ

第三者として避妊に反対しなければならなかったコンテクストは、生殖が抑制されることが問題とされる場合と、生殖を目的としない性交が行なわれることを問題とする場合とに分けることができる。前者は社会的秩序、後者は道徳意識と結びついていたが、いずれについても普遍的なものではなかった。一方、当事者を避妊から遠ざけたのは習慣を変えることへの抵抗だった。避妊についてうわさ程度には知っているものの正確な知識や技術、そして専用の避妊器具にアクセスする機会を十分に持たない人は多く、特に貨幣経済が成熟していなかった非都市部では消費に対して消極的だったことも影響した。また、いざそのようなアクセスの機会が与えられても、特定の宗教に対する信仰や男女のセクシュアリティが避妊を選択する妨げとなることがあった。

このように、反対しなければならなかったコンテクストの内部で第三者と当事者を比較すると、第三者がとても雄弁に語ってみせているのに対して、当事者には戸惑いの色が濃く、あいまいな態度も見られた。大統領による公的な演説と一個人による私的な声を比較すればそのような違いが現れるのは必至かもしれないが、少なくとも両者が同じ次元で避妊の問題を認識していなかったこと、および利害関係の不一致は明白である。

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40 Hagood, 118
41 Ibid., 126
42 Ibid., 42
43 Ibid., 119

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