2007年12月3日月曜日

判事が産児制限を勧めて...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
---

毒と薬

あまり知られていないが、判事が産児制限を勧めて話題を呼んだ事例がある。1928年12月、オハイオ州クリーヴランドの判事ハリソン・ユーウィング(Harrison W. Ewing)は28歳のオットー・クーリム(Otto Kourim)と22歳の妻ヘレン(Helen)の2人による離婚申請を却下した上で、「私はあなたたち自身に対し、また社会に対してこれ以上の子どもたちを負わせることを許さない」と述べた。その際、はっきりと”birth control”という言葉を用いて産児制限を勧めたことが物議を醸すきっかけとなった。クーリム夫妻は5年間の結婚生活で3人の子どもをもうけていたが、夫の週給はわずかに24ドルだったと言う。また夫婦間の口論は絶えず、裁判の6ヶ月前より別居状態が続いていた。ユーウィング判事は離婚申請を却下する代わりに、もしも夫妻が3年間新しく子どもをつくらなければ、かつ3年経ってもまだ離婚を望むならば、そのときには2人の離婚を認める、と言い渡した。当時のオハイオ州の法律は「何人たりとも、産児制限についてのいかなる情報を販売、陳列、提供してはならず、実践してもならない」と定めていたので、判事自身はすでにこれに抵触し、加えてクーリム夫妻が判事の勧めに従えば彼らも州法を犯す状況が生れた。しかし、ユーウィング判事は以下のように述べて力強く自身の下した判決を擁護した。
クーリム夫妻のケースにおける最も重要な争点は子どもたちである。(中略)最初の子どもが1歳のときにいずれかの裁判所が産児制限を勧めるべきであったのだ(中略)彼らの問題は州法の問題を直接的に反映するものである。産児制限についての情報こそがまさにこのような状況にある夫婦を救うものであるのにもかかわらず、裁判所はそれを提供することを禁じられている。49
この記事は、「どの州にも産児制限についての情報を提供する医師―しかもその多くが信頼のできる医師たち―がいること、そしてほとんどすべての雑貨屋(drug store)が避妊具を売っている」という当時の実情についても言及している。制度と実情がいかにかけ離れていたかを端的に示すものである。さて、ユーウィングは最も重要な争点(most important principal)として幼い子どもたちのことに触れたが、これは判事が彼らに対して同情的だったことを意味するのだろうか。「子どもたちを社会に負わせる」というもの言いからは、別の解釈ができそうだ。ずばり、判事は十分な経済力を持たない親たちが無計画に子どもをつくり続けてしまう状況を問題視しているのである。

このことをよりよく理解するためには、ノースカロライナ州の主席判事フレデリック・ナッシュ(Frederick Nash)が1854年に示した見解が参考になる。ナッシュは当時増え続けていた非嫡出子の問題に取り組んだが、彼の方針は無責任な親を捕まえて処罰することではなく、非嫡出子が生活保護者(public charges)となるのを防ぐことだった。50 つまり、ナッシュは非嫡出子の増加を道徳的な問題とはせず、経済的な問題して扱い、父親たちには養育費の支払いのみを義務付けた。ルーズベルトの描いた社会的秩序を維持するためには、白人中産階級の相対的な人口が国内において一定割合を確保していることが肝要だった。相対的ということに限れば、白人中産階級の人口を増やすこととそれ以外の人口を抑制することは同様の効果が期待される。避妊は人種を自殺に追いやる恐れもある「毒」であると同時に、社会的秩序を維持するための「薬」としても機能するとユーウィングは考えたのではないか。3年間という期間は子どもたちがある程度成長するまで親に養育の義務を負わせるということを意味している。ひょっとすると、ユーウィングの本心は子どもたちの状況を不憫に思い、彼らのために両親を別れさせない判決を下したのであって、これまでに展開した議論は判事なりのレトリックに欺かれたに過ぎないのかもしれない。しかし、万が一そうであったとしても、社会的秩序を維持するために避妊が肯定されうるコンテクストがあることを彼が見抜いていたことになる。

友愛結婚

ユーウィングよりも広く知られている判事として、友愛結婚(companionate marriage)の可能性を主張したコロラド州デンバーのベンジャミン・リンズィ(Benjamin Barr Lindsey)が挙げられる。友愛結婚とは男女が結婚する前に友人あるいは恋人の関係となって相互理解をはかろうとするひとつの理想だった。 51 それまでのビクトリア朝時代の結婚とは、男女が対等な関係であることと性的な親密さが重視された点で大きく異なっていた。いまでこそ男性が女性のことをパートナーと呼ぶことがあるが、そうした感覚は当時としては画期的だった。友愛結婚が掲げる性的な親密さは生殖を意味せず、避妊が前提とされていた。第2章ではピューリタニズムをはじめ、さまざまな道徳意識が夫婦の絆を重視するものだったと述べた。友愛結婚は結婚の絆と言う従来からある価値を尊重し、そのためには結婚に先立ってお互いを知ることが必要性だと説いたのである。

---
49 “Birth Control,” Time Magazine, December 17, 1928
50 Bynum, Victoria E. Unruly Woman: The Politics of Social & Sexual Control in the Old South, Chapel Hill and London: The University of North Carolina Press, 1992, 103-104
51 G・デュビィ, M・ペロー 監修. 杉村和子, 志賀亮一 監訳『女の歴史 20世紀Ⅰ』東京: 藤原書店, 1996年より、ナンシー=F・コット「近代的女性:1980年代のアメリカン・スタイル」, 138-141

「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13

0 件のコメント:

コメントを投稿