2007年12月1日土曜日

ところが、母親たちの妊娠についての理解は...




「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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消費に対する消極性

ところが、母親たちの妊娠についての理解は自分自身や親戚などの実体験によるところが大きく、避妊についてはうわさ程度の知識しか持っていない者が多かった。40 ヘイグッドはこの地域で避妊の普及を阻んでいる理由のひとつとして、母親たちが実験的な試み(experimental venture)に費やすような現金を持ち合わせていなかったことを挙げている。41 これは現代の感覚から単純に彼女たちの貧しさを指摘することとは違う。当時の小作農の一家は自給自足を原則とし、砂糖やコーヒーなど自分の農場では生産することのできない一部のものに限って他所から購入していた。加えて、雑貨屋の支払いはつけで行なわれることが多かったので、現金に触れる機会は限られていた。また、家族全員で働いて得た収入は家族全員のものとされ、個人が好きなときに自由に使えるわけではなかった。つまりこの地域の住民は避妊器具に限らず、消費すること全般において消極的だったのである。

消費することに対して極端なまでに消極的であり続けることができたのは、一度購入したものについてはできる限り長く使い続けようとする、母親たちの恐るべき執念だった。例えば、ある母親は1組だけの靴で2年間をしのいでいる。42 靴の寿命を延ばすために夏は裸足で過ごしたが、その靴も日々の重労働によってもはや繕うことができないほど壊れていたと言う。また別の母親は、自分の妹の陣痛が始まることを夢の中で察知したとき、彼女が買ったばかりのマットレスの上でお産をすることを許さなかった。43 彼女は自分が妹を愛していることをわざわざ断っているが、それでも目の前で大切なマットレスが台無しにされてしまうのは我慢ならなかったようだ。そこで、代わりに破れたキルトを持ってきて、妹をそこに促した。これら2つの事例は母親たちの忍耐強さを示す一方で、衛生観念の未熟さも表している。

このように、たとえ度重なる経験から自分がどのように妊娠するかを推測できていたとしても、また妊娠せずにすむ方法があることをうわさでは知っていても、自己犠牲を当然のものとして受け入れている母親たちが、自分の都合のためだけに一家にとって貴重な現金を、それも子どもを産むという代わり手のいない義務を放棄するために使うことには大きな抵抗があったと考えられる。女性が主体的に使うことのできる避妊器具が市場に出回っていることと、それを主体的に購入することができるかどうかはまた別の問題だったのである。ヘイグッドの資料からは父親たちがどのように考えていたかがあいまいにしか分からないことは前章にも述べたが、彼らが沈黙していても妻には思いとどまるのに十分な条件がそろっていた。

章のまとめ

第三者として避妊に反対しなければならなかったコンテクストは、生殖が抑制されることが問題とされる場合と、生殖を目的としない性交が行なわれることを問題とする場合とに分けることができる。前者は社会的秩序、後者は道徳意識と結びついていたが、いずれについても普遍的なものではなかった。一方、当事者を避妊から遠ざけたのは習慣を変えることへの抵抗だった。避妊についてうわさ程度には知っているものの正確な知識や技術、そして専用の避妊器具にアクセスする機会を十分に持たない人は多く、特に貨幣経済が成熟していなかった非都市部では消費に対して消極的だったことも影響した。また、いざそのようなアクセスの機会が与えられても、特定の宗教に対する信仰や男女のセクシュアリティが避妊を選択する妨げとなることがあった。

このように、反対しなければならなかったコンテクストの内部で第三者と当事者を比較すると、第三者がとても雄弁に語ってみせているのに対して、当事者には戸惑いの色が濃く、あいまいな態度も見られた。大統領による公的な演説と一個人による私的な声を比較すればそのような違いが現れるのは必至かもしれないが、少なくとも両者が同じ次元で避妊の問題を認識していなかったこと、および利害関係の不一致は明白である。

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40 Hagood, 118
41 Ibid., 126
42 Ibid., 42
43 Ibid., 119

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