2007年12月2日日曜日

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストを...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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第3章 避妊に反対しなかったコンテクスト

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストと避妊に「反対しなかった」コンテクストの違いはどこにあるのだろうか。また、第三者による論争を当事者たちはどのように受け止めたのだろうか。

第1節 第三者として

避妊に「反対しなければならなかった」コンテクストを支えた社会的秩序と道徳意識は「反対しなかった」コンテクストにおいても尊重されることがあった。2つのコンテクストを比較することにより、その性質がより鮮明になる。

男性の健全化

サンガーは1912年に「全ての娘が知るべきこと(What Every Girl Should Know)」という、避妊を適切に行なう方法を指導する記事を書いている。ところが郵政省は事前に検閲を行ない、コムストック法によって記事の出版を許可しなかった。そのため雑誌の該当ページにはタイトルだけが掲載され、本文には「何もない、郵政省の命令により」とだけ印刷された。44 驚くべきことに、検閲される前の原文は第一次世界大戦期に合衆国政府によって兵士たちに配られた。45

当時、兵士たちの間では性病(V.D.)が蔓延していた。ゴードンによれば、1917年9月から1919年2月までのあいだだけで、陸軍と海軍あわせて28万件を超える症例報告があった。46 抗生物質のない時代だったため、予防が最善の手とされた。こうして、避妊に反対する立場にあった政府が超法規的な措置として兵士にコンドームを支給することになった。政府にとって、国家の手足となって戦争に従事する兵士の健康を維持することは社会的秩序を維持することと同一線上にあり、かつこの場合には優先されることとなった。また、訓練キャンプは男性たちに性教育を提供することを通して自己管理された性的道徳と肉体という男性性を浸透させた。47 480万人の男性を対象としたこうした指導の効果は、彼らが戦場から帰還することによって全国的に広がりをみせ、1920年代および30年代の調査によれば、コンドームは膣外射精に続いて2番目に人気のある避妊法となった。48

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44 ”NOTHING, by order of the Post-Office Department,” Gordon, 214
45 Ibid., 214. パンフレットは著者であるサンガーには無許可で複製された。
46 Ibid., 205
47 Bristow, Nancy K. Making Men Moral: Social Engineering During the Great War, New York: New York University Press, 1996
48 Ibid., 63

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