2007年11月25日日曜日
これまでのアメリカ合衆国における避妊の歴史は...
「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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第1章 「誰」が避妊を「普及させた」のか
第1節 不在の存在
これまでのアメリカ合衆国における避妊の歴史は、「誰が避妊を普及させたのか」という問いから出発し、「政治家や医師、聖職者などの男性エリート層と、自らの身体をコントロールする権利を獲得しようとする女性たちを中心とした運動家の闘い」という枠組みのなかで語られることが多かった。その一方で、当事者であるはずの個人が避妊の普及に対してどのように貢献したかについての議論は必ずしも十分にされていないようだ。確かに避妊について啓蒙するパンフレットの発行部数やクリニックの利用者数を見ると、運動家たちの活動は非常に大きな成果を収めている。しかし、避妊をとりまく状況が時代とともに変化するなかで、最終的に避妊をする/しないという判断を下してきたのは一貫して当事者、すなわち個人だったはずだ。そのため、制度上の変化や運動家たちの活動を追うことと、今日のように避妊はむしろ必要なことであるという価値観がおおよそ共有されるに至った経緯を説明することの間には、やはり隔たりがあると考えられる。
ただし、当事者である個人を研究対象とすることにはいくつかの障害がある。まず、当事者としての個人、とりわけ男性が避妊についてコメントした記録が極端に少ないことが挙げられる。なぜこのようなことが起こるのだろうか。これからしばらくの間、不在が存在していることの意味について考えてみたい。原因として考えられるのは、聞き手が語り手を促さなかったこと、語り手が発話しなかったこと、そして書き手が記録に残さなかったことの3つである。
聞き手の問題
社会学者マーガレット・ヘイグッド(Margaret Jarman Hagood)は1930年代にノースカロライナ州のピードモント地域やジョージア州、アラバマ州の白人小作農を訪ねてまわった。254世帯を対象とし、16ヶ月間に及んだインタビューの記録は『南部の母親たち』という著作にまとめられている。7 当時の南部小作農の日常生活を知るための資料として優れているが、夫の記述に関しては不在が目立つ。例えば本書の第2部では出産や育児についてかなりのページが割かれているが、これらのことに関してヘイグッドが夫たちに直接インタビューを行なった形跡は見られない。妻に対して投げかけた質問に対して、妻が夫に確認をとる様子はときおり描かれていることから、インタビューの際に夫がそばにいたこともあったようだ。それにも関わらず夫のコメントが残されていないのは、彼女の研究テーマが母親たちに焦点を絞ったものであったためだけではなさそうだ。聞き手のヘイグッドにも、出産や子育てが父親ではなく母親の役割であるという先入観があったと考えざるをえない。
語り手の問題
筆者も本稿執筆にあたり、「避妊について、自身はどう考えるのか」という質問を受けることが少なくなかった。そのたびに「私自身がどう考えるかと、20世紀前半のアメリカ人がどのように考えたかは区別する必要がありますが」と断った上で、私なりに誠意を持って答えるように努めた。ところがあとになって振り返ってみると、質問を投げかけた相手との関係や周りの状況などによって私の答えは少しずつ違っていた。趣旨は同じであったとしても、用いる言葉はその都度違い、また表情や身振りによって聞き手に異なる印象を与えたと考えられる。羞恥心がまったくなかったと言えば嘘になる。一対一で話をする場合と、複数名の前で答える場合とでは羞恥心からくるストレスの度合いが異なった。さらに相手の年齢や性別、社会的地位、そして何よりも信頼関係が大きく影響した。現代においても性的な事柄について語ることに対する抑圧は強いが、20世紀前半でははるかに強かったことを踏まえ、特にこのことを意識する必要がある。
また、あるとき私が避妊について肯定的な姿勢を示したところ、「それでは将来あなたが父親になったとする。そのとき自分の娘、それも未婚の娘が避妊を実践することについてはどのように考えるか」と追及されたことがあった。これは当事者として答える場合と、父親としての返答が異なることを暗に期待する問いかけだった。確かに筆者自身の個人的な体験は当時のアメリカ人がどのように考えたかとは無関係かもしれないが、自らが性行為の当事者としてコメントする場合と、第三者として意見を述べる場合とでは回答の変わる可能性があるという発想は分析を行なっていく上での手がかりとなった。
書き手の問題
通常は聞かれることも語られることもまずなさそうな一個人の発言が、「奇跡的に」残されているとしたら、それは何を意味しているのだろうか。ひとつにはそのコメントが書き手の意図に沿う何らかの特質を有していたと推察できる。あるいはそれ以外のコメントを代表しうる典型的なものであったと考えることもできる。前者はもちろんのこと後者の場合においても、均質なものが多数あったなかから無作為に選ばれたというよりは、言及されない他の要素を代表しうる性質を持ち合わせていたからこそ、意図的に選ばれたと考えたほうが理にかなっている。だからと言って、残されている記録を特殊なものとして捉えることは、必ずしも資料に対して悲観的に向き合うことを意味しない。書き手にとっての必然性に目を向けることができれば、ときにはテクストとして残されているもの以上のことを推測できるはずだ。
「誰」からコンテクストへ
個人を研究対象に含める際に問題となるのは、資料と実態との避けがたい不一致だけではない。仮にある男女が避妊を選択したとして、この場合、誰が避妊の普及に貢献したと言うのが最も適当なのだろうか。20世紀前半のアメリカ合衆国では、だいたいにおいて男性が性行為の主導権を握っていた。当事者に限定したとしても、決定権を握っていた男性の意志や協力の重要性を指摘することができる一方で、男性を説得することに成功した女性の発言権の増大に注目することもできる。どちらもそれなりの説得力を持っているが、どちらも決定的ではない。さらに第三者の働きかけを加味すると、当事者たちが避妊にアクセスする遠因となったであろう運動家たちの働きも無視できなくなる。このように、もし「誰が」を特定することが原理的に不可能であるならば、「誰が」という問いの立てかた自体に問題があることになる。
さらに言えば、生まれながらにして妊娠について知っている人がいないのと同様に、生まれながらにして避妊を受け入れている人もいない。それらのことは人生のある段階において対面するものであり、そのときには葛藤の程度に関わらず、個人のなかで何かが変わる。個人が変わることを前提とするのであれば、個人を分析の単位とすることが妥当とは言えない。むしろ、個人の発言がなされたコンテクスト(状況、文脈)に注目する必要があるだろう。第三者だけでなく当事者の利害関心にも注意を払い、さらに両者の発言をコンテクストに還元することによって、記録に残されなかった大多数の不在の存在が浮かびあがってくるはずだ。
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7 Hagood, Margaret Jarman. Mothers of the South: Portraiture of the White Tenant Farm Woman, New York: W. W. Norton & Company, 1977
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