「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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第2章 避妊に反対しなければならなかったコンテクスト
分析を行なうにあたって、特に第三者と当事者が置かれたコンテクストの相違点を意識し、第三者による言説がどれほど当事者の利害関心にかなっていたのかに注意したい。
第1節 第三者として
個人の生き方に国家などの第三者が介入することを正当化するためにしばしば使われたのが社会的秩序(social order)と道徳意識(morality)いう言葉だった。その際争点となるのは、誰にとっての社会秩序、道徳意識なのかということである。
社会的秩序
1905年3月13日、当時の合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)は「アメリカの母性について」という演説を行なった。22 大統領はこのなかで、「この世の終わりまで変わることのない真理」として、妻と夫が果たすべき義務について説明している。23 夫の第一の義務が一家の稼ぎ手となることであるのに対して、妻の第一の義務は良き妻・主婦・母親となることとされた。この違いについては、男女はもともと違う(normally different)のだから、それぞれの負う義務が異なるのも当然であり、それが「両者の不平等を意味するのではない」と断言している。さらに、「全体として、両者のうち女性の義務のほうがより重要で、難しく、尊いものであると私は考える。全体として、義務を全うする男性よりも、義務を全うする女性に対して私は敬意を表する」と続けている。
ルーズベルトがこのようなレトリックを用いた理由は演説の後半における「第一の義務」を全うしようとしない女性たちに向けられた強い非難から明らかになる。女性の第一の義務として母親となることが含まれている以上、とりわけ妻でありながら子どもを持たないことは人種に対する犯罪だとされ、ひいては人種の自殺(race suicide)につながるとまで主張している。
ルーズベルトの演説が行なわれた背景には19世紀末から白人中産階級の出生率が急速に低下していたことに対する危機感があった。24 また、いわゆる新移民の増加も相対的に白人中産階級の人口を脅かした。社会的秩序を維持するための人口が相対的に減少することは国内政治における力関係に影響を及ぼしたが、アメリカ人全体の人口の伸びなやむことは国際社会にてらしたアメリカの国力を左右する問題とされた。いずれの場合においても争点となったのは人口であり、したがってこうしたコンテクストが避妊と衝突するのは、避妊が生殖を抑制するものだったために尽きる。ここで、性と生殖の関係について整理してみよう。
効果的に避妊が実践されている状況においては性行為と生殖は必ずしも直結せず、性行為自体を目的とした性(sex)と、行為の結果としてもたらされる生殖(reproduction)とに分けて考えることができる。もちろん、姦淫や強姦などの性的逸脱や暴力は古くからあったはずで、それらが自らの子孫を残すことを目的としたものだったとは考えにくい。また、妊娠のメカニズムについての知識がほとんどない状況では、性行為がどれほど生殖を意識して行なわれていたかも疑わしい。しかし、効果的な避妊技術が生殖をコントロールするための試行錯誤を通して生れ、かつ後者をある程度コントロールすることができるようになると、前者の快楽のみを追求することが可能となった。したがって、避妊に反対しなければならなかったコンテクストは「生殖そのものが抑制されること」が問題とされる場合と、「生殖を目的としない性交が行なわれること」を問題とする場合を分けて考えなければならない。人口にまつわる社会的秩序という大義名分がかざされるときには、手段として後者について言及することはあるにしても、目的はあくまで生殖そのものが抑制されている事態を打開することにあった。
さて、この演説は全国母親協議会(National Congress of Mothers)、いわゆるPTA(Parent-Teacher Association)の前身となる組織を前に行なわれたので、聞き手はまさに白人中産階級の母親たちだった。つまり、「アメリカの母性について」と銘打たれているものの、実質的には白人中産階級の母親たちに向けられたものであり、このことはルーズベルトの言う社会秩序がどの集団に依拠しているかを如実に表している。このように巧みなレトリックとチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の自然淘汰説を下敷きにした「科学的な」説明によってルーズベルトは母親たちに訴えたのだった。しかし、強い国民によって強い国家ができあがるという発想は保守的な制度や慣習、すなわち白人中産階級という集団の優秀さや「第一の義務」を果たす母親たちの価値を自明視するとともに、義務や責任を構成員である個人に帰する厳しさを併せ持っていた。
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22 Roosevelt, Theodore. "On American Motherhood," March 13, 1905
23 “truths which will be true as long as this world endures”
24 有賀夏紀『アメリカ・フェミニズムの社会史』東京: 勁草社, 1988年, 134-135
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