2007年12月4日火曜日

1930年代の南部白人小作農の母親たちが...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
全13回シリーズ:1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13
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第二節 当事者として

適正な人数

1930年代の南部白人小作農の母親たちが、これまで産み育てた子どもたちについて自信と誇りを見せていたことについては前章で指摘したとおりであり、ここで繰り返すまでもない。しかし、同じ母親たちが、将来的な妊娠の可能性に対してはまた異なる態度をとっている。ある母親の証言を引いてみよう。
13人の子どもたちをかかえて、それでもなお力強く、どんな町の女よりもよく働いている女を見たと(読者に)言ってやっていい―でも、今度あんたがうちに来るときにもう一人増えていないといいんだけど。52
確かにたくさんの子どもたちを産み育てることは大勢の働き手を得ることにつながったので、母親たちは漠然とではあるものの、家族に対して貢献しているという実感を持っていた。しかし、子どもたちに食べさせなければならない。家族の人数に見合った十分な耕作地がなければ、労働力を活かすこともできなかった。さらに、度重なる出産は疑いようなく母親たちの体にとって大きな負担となっていた。しかも、彼女たちはお産が始まる直前まで働き、すばやく出産を済ませ、できるだけ早く畑仕事に復帰することを美徳としていたので、十分に休養をとらずに無理を重ねていた。53

それでは、自信や誇りは建前にすぎず、こちらが本音であったのだろうか。おそらくどちらもヘイグッドを同じ女性として信頼して語った複雑かつ正直な気持ちだったと考えられる。『南部の母親たち』もこの地域における高い出生率について、こうしたコメントを反映する2通りの見解を示している。ひとつには大勢の子どもたちを産み育てている母親たちは合衆国の将来にかかわるほど重大な存在であるという主張であり、もうひとつはあまりに高すぎる出生率が小作農たちを構造的貧困に追い込んでいるという分析である。54 注目すべきは、この母親がすでに13人の子どもたちを産み育てていることである。ある人数までは自然に産み、それに達したら避妊を実践するというやり方が可能であるならば、彼女たちにとって反対しなくて済むコンテクストが開けるのではないだろうか。

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52 Hagood, 127. 括弧内は筆者が補足した。
53 Ibid., 115
54 Ibid., 240

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