2007年11月27日火曜日

最も古くからある避妊法は...




「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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避妊技術の発達

今度は、年表的事項やグラフの情報に具体的な避妊技術の発展を加えてみよう。最も古くからある避妊法は、現代からすれば儀式や呪術としか呼べないようなしろものである。しかし、効果が本当に信じられていたならば、それらが女性の心身に何らかの影響を及ぼして妊娠を妨げた可能性を完全に拭い去ることはできない。全く効果がなかったとは言い切れない以上、儀式や呪術も避妊の一種と呼ぶことができるとするゴードンの指摘には筆者も同意する。16 後ほど詳述するが、現代においても100%確実な方法がない以上、避妊を実践することは避妊の確実性を信じることと強く結びついているのではないだろうか。17

それでは、近代的な避妊法にはどのようなものがあったのだろうか。妊娠のメカニズムが科学的に解明される以前から、男性の精液と妊娠の関係が経験的に理解された時点で、その侵入を防ぐさまざまな方法が考えられた。例えば、男性が射精せずに性交を終える抑制性交(male continence)や、膣外で射精をする中絶性交(coitus interruptus)は特別な器具を必要とせず効果も比較的高かったが、その分知識と男性の自制が要求された。18 同様に禁欲的性質の強いものとして周期法が挙げられる。しかし、ヒトの排卵周期が正確に特定できるようになったのは1924年のことであり、また周期の安定しない女性も多く、他の方法との併用なしでは失敗することが多かった。器具を用いる場合であっても日用品を転用できる場合にはコストがほとんどかからず、すぐに実践することができた。綿花などをタンポンとして膣内に詰めて性交後に抜き取る方法は1930年ごろまでクリニックで教えられ、なかでも吸収性に富むスポンジが使われることが多かった。19 専用の避妊器具となると、適切に使いさえすれば効果はある程度保証されていたものの、それを購入することがひとつのハードルになった。特に貨幣経済が成熟していない地域ではアクセスするのが難かったと考えられる。20 早くから登場したのは、性交直後に膣内に挿入し、精液を洗い流すための洗浄器だったが、雑誌などを通して大々的に宣伝されたわりには効果はいまひとつだった。より確実なものとしては、ゼリー状の殺精子剤がペッサリーとともに利用された。これらは女性が主体的に使うこのできる避妊器具だった。

男性用コンドームはもともと避妊のためではなく、性感染症予防のために考案されたものである。そのため、男性の性交中の快感が若干損なわれるという欠点があり、このことがしばらくの間普及を阻む一因となっていた。しかし第一次世界大戦後に材質がゴムからラテックスに切り替えられることによってはるかに薄くなり、単価も下がったため急速に広まった。21 このように、1960年代以降に経口避妊薬ピルが登場するまでの避妊器具は、精子の侵入を防ぐという目的をいかに便利な手段によって果たすことができるかを模索することによって生み出された。注目すべきは、それぞれの避妊技術が純粋に避妊効果の大小だけでなく、コストや性交時のデメリット、避妊の主体が男女のどちらにあるかなどから総合的にみた便利さに応じて選択され、避妊器具を供給する側も、そうした需要に応えられるように研究開発を行なったことである。

以上に挙げた効果的な避妊器具が全国的に普及しはじめたのも20世紀前半だった。つまり、避妊がアメリカ合衆国に普及する条件のうち、性や生殖の価値観に沿った技術的革新はこの時代において認めることができる。出生率の推移とあわせてみても、大きな流れとしては避妊が普及する方向へ動いていたと考えてよいだろう。避妊が普及するためには性交を行なう当事者がそれを選択することが必須条件だったが、そのときに求められるのは避妊に反対しないことであり、避妊を積極的に普及させるために他者に働きかけることまでは含まれない。また、そのような流れができつつあるなかで、あえてそれに抗わなければならなかったコンテクストにはどんなものがあったのか、興味がわいてくる。

章のまとめ

このように、「誰が避妊を普及させたのか」という問いの立て方は複数の問題を抱えている。まず、第三者だけでなく性交を行なう当事者の利害関心に注目する必要があるが、そうしたコメントは往々にして聞き手や語り手、書き手の限界から特殊なものと位置づけられる。そのため、特に当事者としての個人によってなされた発言については語り手だけでなく、聞き手や書き手の性質や立場についても分析の対象とする必要があるだろう。また、「誰」を特定することは原理的に難しく、変化を追うのであれば個人も変化しうるものとして捉える必要がある。そこで、本稿は人ではなくコンテクストによって資料を整理する。
次に、いくつかの年表的事項や人口動態、避妊技術の発達を並べてみると、避妊が全国的に議論され、また普及を決定づけた転換期は20世紀前半だったと言える。この時代に避妊が普及するためには当事者がそれを選択することが必須条件だったが、「普及させる」という自覚を持っていたのは一部の人々に限られていたと考えられる。つまり、そのころの当事者たちにとっては避妊に反対しないで受け入れていくことよりも避妊に反対することのほうが大きなエネルギーを要したのではないだろうか。現段階においては仮説に過ぎないが、ひとまずこの仮説に従ってコンテクストを分類してみたい。

続く第2章および第3章ではこれまでの議論を前提とし、資料から集めた具体的な事例を歴史的背景と照合しながら解釈を加えることによって、どのようなコンテクストが重なり合い、結果として普及する結果となったのかを明らかにしていきたい。その際、先に述べた理由から、コメントがなされた状況に即して第三者としてのものと当事者としてなされたものとを区別する。

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16 Gordon, 29-30
17 確実な避妊法がひとつだけあるとしたら、それは禁欲を貫くことだが、禁欲そのものに失敗する可能性はある。
18 Frieze, Irene H. Woman and Sex Roles: A Social Psychological Perspective, New York: W. W. Norton and Company, 1978, 210-233
19 Gordon, 44
20 2章2節を参照。
21 Gordon, 64

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