2007年11月29日木曜日

バース・コントロール運動にとって...



「アメリカ合衆国における避妊の普及」
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道徳意識

バース・コントロール運動にとって制度上の障壁となった最たるものは1873年3月3日に議会で可決されたコムストック法(Comstock Law)と呼ばれる連邦法だった。この法律は避妊によって生殖が抑制されることではなく、生殖を目的としない性行為に反対するものであるため道徳意識にカテゴライズされるが、社会的秩序を守ろうとした人々にとっても便利なものであったことは想像に難くない。コムストック法の条文にはすべての「猥褻で、淫らで、好色な(obscene, lewd, or lascivious)」品物の郵送を禁ずるとあり、このなかには受胎を妨げ、あるいは堕胎をうながすことに関わる記事や物品が含まれていた。25 法律を成立に導いたアンソニー・コムストック(Anthony Comstock)本人の言として「六両編成の客車一杯の人間を性的不品行で有罪にし、何百トンものわいせつ物を破棄した」とあり、彼がいかに意欲的だったかがわかる。26

その一方で、亀井俊介はコムストック法が産児制限のための情報や文学作品における性的描写を厳しく取り締まる一方で、同時期に売春が全盛を迎えていたことを指摘している。27 亀井によれば、植民期から姦通を取り締まる法律はあり、特に女性が重点的に取り締まられたが、売春を取り締まる法律は第一次世界大戦にアメリカが参戦する頃まではなかった。28 さらに、売春を事実上黙認することは男性の性欲から家庭にいる貞節な妻を守るだけでなく、売春婦を取り締まらずに虐げることによって相対的に貞節な女性たちの尊厳を高める、二重の意味で堤としての機能を持つと考えられていた。29 ここでも男性の性的欲望は不可避なものとしてとらえられ、女性の価値を二極化することによって、彼女たちの行動を制限しようとしていることが伺える。「避妊は売春婦が横行することにつながる」と彼らが言うとき、それは「避妊を行なう女性は売春婦と見なす」ことを暗に意味していたのである。こうした思考はルーズベルトの演説に通ずるものがあると言えるだろう。要するに、コムストック法は厳しい法律である一方で、取り締まる対象にははっきりと恣意性が認められる。そのため、確かにこの法律は郵便物の検閲やクリニックを取り締まることによって避妊の拡大を抑制することができたが、一度避妊を猥褻なものとしてではなく、便利なものとして受け入れた当事者たちを「改心」させる力はほとんど持っていなかったと考えられる。

「改心」を促す力があるとすれば、それはユダヤ教やキリスト教などの宗教の存在であろう。なぜならば、コムストック法は人の目による取り締まりであるため、工夫次第でやり過ごすことができたが、信仰を持つものにとって神の目は欺くことはできないからだ。ユダヤ教やキリスト教において性行為が認められるのは生殖を目的として行なわれるときのみであるとされていた。その根拠とされたのが旧約聖書38章6節から10節に見られる記述である。
ユダは長男のエルに、タマルという嫁を迎えたが、ユダの長男エルは主の意に反したので、主は彼を殺された。ユダはオナンに言った。「兄嫁のところに入り、兄弟の義務を果たし、兄のために子孫をのこしなさい。」オナンはその子孫が自分のものとならないのを知っていたので、兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面に流した。彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。 30
ここで、オナンが「子種を地面に流した」ことが膣外射精を意味すると考えられた。さらに、13世紀にトマス・アクィナス(Thomas Aquinas)が婚姻関係にある男女による、生殖を目的とした場合に限って性交が認められるとしたことによって、この箇所の解釈が固定した。31 しかし、エドマンド・モーガン(Edmund S. Morgan)によれば、アメリカのピューリタニズムにおいて性交は人間本来の欲望として認められていた。すなわち「ピューリタニズム」という言葉から連想されるような完全な禁欲を説いたのではなく、主に婚外交渉を厳しく禁じたのであり、夫婦間での性交に設けられていた唯一の制約は、それが信仰生活を妨げない範囲で行なわれることだった。32 このように、ピューリタニズムの伝統的な道徳意識は男女が夫婦となること積極的に肯定するものだったが、このことが社会的秩序にもたらす恩恵にはどのようなものが考えられるだろうか。

結婚は誰もが自分の思うようにできるわけではなく、必ず相手を必要とする。そして、多くの場合には相手や相手の家族からはさまざまな条件を満たすことを要求される。年齢もそのひとつである。文化の違いや個人差はあるものの、結婚するべき年齢の幅についてはある程度の合意がある。他には自立するのに必要なだけの経済力が求められることが多いだろう。また、それ以外でも社会的地位が確立されていれば、多くの場合は有利に作用する。これらの条件を満たした先に結婚があり、かつ生殖が夫婦間のみにおいて認められるかぎり、結婚は生殖の資格を持つべきものと持つべきでないものをふるいにかけるシステムと捉えることができる。

なお、避妊について最も頑なだったのがローマ・カトリック教会だった。カトリックの神父や修道女たちは生涯独身を通すので、原則として性行為や避妊の当事者とは成りえない特異な存在だったことをまずは指摘できる。しかしおそらくそれ以上に重要だったのが、全世界のカトリック教会が一致して歩むという基本姿勢だった。自らを正統と自負する権威は「変わらないこと」によって保障されるものであったため、必然的に避妊に反対しなければならないコンテクストができあがった。結果論になるが、この頑なさは避妊が普及するにしたがってアメリカ人に神ではなく人による技術を信じる機会を与え、社会における影響力を弱めることになった。1930年代の新聞には苦肉の策として、避妊は肉体的健康を損なうという主張が掲載されることもあった。33

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25 “The Secret History of Birth Control,” New York Times, July 22, 2001
26 荻野美穂『生殖の政治学―フェミニズムとバースコントロール』東京: 山川出版社, 1994年, 50
27 亀井俊介『ピューリタンの末裔たち―アメリカの文化と性』東京: 研究社, 1987年, 106
28 Ibid., 112
29 Ibid., 108-109
30 『新共同訳聖書』東京: 日本聖書協会, 1999
31 Gordon, 7
32 カール・N.デグラーほか著. 立原宏要, 鈴木洋子訳『アメリカのおんなたち:愛と性と家族の歴史』東村山: 教育社, 1986年より、エドマンド・S.モーガン. 鈴木洋子訳「ピューリタンとセックス―厳しいモラル、だが現実には寛容」, 202-203
33 “How the Churches View Birth Control: Father Cox Quotes from the Records To Show their Expressed Opposition to It,” New York Times, January 14, 1934

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